税金が有利
地理的に有利
国内に蔓延る閉そく感
そして、グレーターチャイナへの窓口として香港が、インド・ASEANへの窓口としてシンガポールが、存在感を大きく増している。P&Gのアジアパシフィックの本社機能が日本からシンガポールに移るニュースが大きく取り上げられたが、投資銀行や資産運用の業界では、一足先に、東京から香港・シンガポール移転の流れが起きてきた。
地理的に有利
国内に蔓延る閉そく感
そして、グレーターチャイナへの窓口として香港が、インド・ASEANへの窓口としてシンガポールが、存在感を大きく増している。P&Gのアジアパシフィックの本社機能が日本からシンガポールに移るニュースが大きく取り上げられたが、投資銀行や資産運用の業界では、一足先に、東京から香港・シンガポール移転の流れが起きてきた。
過度の礼儀正しさは多少やりすぎ感もあるが、それでも日本での経験を最もスペシャルなものにしてくれるのは、この国に住んでいる人々の、お客さんへの礼儀正しさだ。これは香港やマカオ、上海のビルがひょっとしたら東京より立派になってしまっても、一朝一夕で追いつくことのできない文化的強さである。
東京で勤務した後、香港に移り住んだアメリカ系韓国人の友人は「東京は最高。住むなら東京。だけど仕事でおカネを稼ぐなら東京は最低でやはり香港がいい」と言っている。
これは私もある程度同感のところがある。しかしながら住みやすさとしては世界最高水準の魅力度を誇る都市が、働き先としてますます魅力がなくなっていくのはなぜか。
ジニ係数、この言葉は皆さん何度も聞いたことがあるかと思うので、釈迦に説法はしない。ただ私の備忘のために言っておくと、この数字が大きければ大きいほど貧富の格差が激しいということになる。
さて、以下に3つの国のジニ係数の数字(CIAのデータを参照)がある。
「37.6」「47.3」「53.3」
どれが香港、東京、シンガポールの数字だろうか?
この文脈から賢明にもご判断されたように日本のジニ係数は「37.6」で、他の金融センターに比べ格段に低いのだ。すなわち、この数字からは、東京が他都市に比べ、金持ちに対し重税であること、所得分配が手厚くされてきたこと、貧富の格差を嫌うことが読みとれる。
わかりやすい例で言えば、インベストメントバンカーやヘッジファンドの上級幹部は、香港のほうが東京よりよっぽど高い報酬をもらっている(もはや東京ではなく香港にアジアパシフィックの本部があるのだから当然だ)。
これに対し、マクドナルドで働く高校生の時給や、病院でバイトする看護婦の卵さんの時給は300円であり、ワーキングプアが叫ばれる日本の最低賃金の2分の1以下である。しかも、雇用主は自由に解雇ができるのだ。
この格差は必ずしも悪いことばかりではなく、労働価格および投入量がビジネスのファンダメンタルに応じて自由に調整できるおかげで、ほぼ完全雇用が実現できている。香港の失業率は3%、シンガポールは実に2%だ。そして経済成長率はそれぞれ5%を超えている。これは世界の企業に“ビジネスがしやすい都市”として選択された結果である。
規制によって、高い賃金水準と余剰人員の雇用を企業に押し付け、本来ならば政府が担当すべき福祉や社会保障を、民間企業に押し付けてしまっている。その結果、実質的な社内失業率や若年失業率がアジアの主要都市に比べ高くなっているとしたら、それこそ本末転倒ではなかろうか。これは規制によってタクシーの初乗り運賃が高くなっているせいで、空車タクシーの列も世界一長くなってしまっているのと共通している。
(実際、過去10年で日本人の所得は10%以上減り、韓国と台湾の所得は70%増えた)。
また複数の産業を規制で守ってきたため、農業やサービス産業がその潜在力をグローバル市場で発揮する準備が進んでいない。
たとえば、お笑いのダウンタウンは一昔前、社会になかったお笑いの形を世に問いかけて浸透させたので私は尊敬しているのだが、彼らは “選ばれた”イメージより、新分野を切り開いて“選ばせた”リーダーという感じだ。
これに対して、たとえば林家こぶ平(現在は林家正蔵)は、世間様からはお笑い界のエリートとみなされている。(ホンマか?と思われる方もいらっしゃるだろうが、本文の構成上仕方ないので見逃してほしい。)
グローバル金融の世界は、巨額の資金と極秘情報を扱うことが多いので、エリート内輪サークルで築き上げた何十年の関係がビジネスをするうえでの“信用コスト”を大きく引き下げてくれる(その代わりに部外者には高い参入障壁が築かれる)。
ご存じのように、金融の大きな案件ではデューデリジェンスに巨額のコストをかけるが、学友やご家族を巻き込んだ信用というのは、こういう莫大なコストを大幅に引き下げてくれるのだ。こうして各主権国家がつくるブロック経済よろしく、学歴や職歴を通じた“学歴ブロック経済圏”を作り出すことによって、他者が参入するうえでの高い参入障壁を築き上げるのである。
よく言われることだが、日本社会はどうも敷かれたレールの上での競争でトップを走るエリートを尊敬するが、レールを外れて新しい道を作り出すリーダーを叩く傾向にあるように思う。これがベンチャー企業やベンチャーファンドの異様な少なさと、官僚機構の肥大化及び政治改革の停滞につながっている。
こうしたエリート予備軍は、何が何でも一生コンサルやインベストメントバンカーをやりたい、と思っているわけではない。「まぁ、どうやらいちばん賢い連中が集まりそうだし、給料もサラリーマンとしては最高水準。いろんな産業や企業を見られて視野も広がり、キャリアの選択肢も増えるだろう」という、人生およびキャリアのモラトリアム的位置づけで、こうした業界を志望するエリート予備軍たちが多いのだ。
さて、理想を追い自己啓発することが最優先の20代のエリート予備軍と異なり、30代中盤に差しかかると、「人生はたった一回。他人の視線より、自分自身の人生の幸福と、自分だからこそできるユニークな社会貢献を大切に考えよう」と仕事の判断基準がシフトしてくるものである。
よって30代中盤までに、多様な経験を積んで世界を広げ、自分が本当に何をしたいか、何にいちばん向いているか、数ある選択肢の中から選ばなければならない。「選択肢を広げるためのモラトリアム転職」に甘えられる時期は過ぎ去った。がむしゃらに、敷かれたレールの上での競争に奔走していては、中途半端な”供給過剰のエリート“に終わり、自分自身の人生のリーダーになれないのだ。
橋下氏は、石原氏の「出過ぎた杭は打たれない」型の発言スタイルを参考にしているのが見て取れるが、政策的にも参考にしてしまわないか心配だ。確かに石原氏のコミニュケーションスタイルはときに魅力的で人を引き付けるが、肝心の政策面では、新銀行東京やオリンピック誘致での失敗、そして領土問題などすべてで、日本国民に莫大な損失をもたらしている。
はっきりモノを言うのは魅力的だが、問題ははっきり間違っている点だ。票は集められても政策判断が破綻していることは、失敗だらけの過去が証明している。
一方、一般市民による直接投票で選ばれたわけではないが、結果的に中国の政権も香港の行政長官職も、極めて強固で安定している。実は中国では10年間の指導者だけでなく、その次の10年(つまり習近平国家主席の次)もメドがついているので、一年後は誰がリーダーかわからない国に比べるとリーダーシップの見通しは格段に明確だ。
私の中国人の友人は「日本が低迷している理由は中途半端な民主主義で何も決まらないからだ。アジア人は歴史をたとれば少数エリートをしっかり選抜する仕組みをつくって、後はその人たちに任せる一党独裁のほうがよっぽどよかった。中国の歴代王朝は250年サイクルで交代しており、共産党王朝はまだ50年たっただけで、民主的選挙なんぞ絶対いらん」と力強く語っていた。
思えば小泉政権下で郵政民営化という争点で大勝した自民党の後継者が、郵政改革反対で離党した人を復党させ、その見直しばかり推し進めたのは何だったのだろう。
最近の財政再建の議論の揺り戻しもすごい。数年前まで国債発行30兆円枠といって大騒ぎしていたが、今や90兆円を超える史上最大の予算の内、半分が赤字国債で賄われている。そもそも税金を低くできないのも、教育に予算を割けないのも、高齢者の年金や福祉をカットしなければならないのも、自民党政権下で繰り返された数百兆に上る公共事業の賜物だ。
もし自民党に政権が戻ったら、同じような、というか、さらにひどい公共投資が実施されかねない。実際、200兆という信じられない規模の公共投資が取りざたされている。
200兆円公共事業・日銀国債引き受けは平成の徳政令
さまざまな経済学者も心配しているが、いくら金融緩和しても資金が銀行の口座にたまるのは、日本企業が史上最高レベルにキャッシュリッチなうえ、マネーの需給が極めて緩いからである。仮にインフレでマイナス金利にして現金を持つことを懲罰することで投資を誘発すれば、それはバブル以外の何物でもない。
これは本質的には“平成の徳政令”である。銀行を通じ、年金を通じ、郵貯を通じ国債を持たされている国民の資産価値、国が国民に負っている債務の価格を大幅に下落させようとしているのだ。潜在的には名目GDP比負債比率は減るかもしれない。しかし借金を返済して減らすのではなく、インフレで吹き飛ばして減らすのだ。
当然中央銀行の独立性と政府への信認に大きな傷がつくが、いちばんバカを見るのは政府を信じて国債を買い続けてきた、というより、年金などを通じて買わされてきた国民だ。日銀が本当に引き受けるなら、この政策は、国債の資産家から持たざる者及び国への富の強制的な移転である。
もしくは自民党の総裁は、口先介入で「わかってない投資家が動いて円安に振れる」という戦略的な期待でやってるのだろうか。投資家自身は馬鹿な政策だと思いつつも、“他の馬鹿な投資家”がそれで動くだろう、という期待の下、円を売ることがある。総裁が考えていることが後者であることを祈るのみだが、この金融政策上も財政政策上も極めて重要な論点が、その副作用も含めて有権者に十分に理解されていないのは残念だ。
この“政治家の椅子が多すぎるのが、やはり何といっても問題説”は先ほどのランチタイムに水餃子を食べながら頭をよぎったことだ。本日、さんざん並んだ後にシンガポールのチャイナタウンの四川料理屋でキクラゲのあえものと水餃子、辛い豚肉をゆでたアパタイザーにミンチ肉のスープをたっぷり食べたのだが、値段は2000円未満で味も極めて美味である。安価なのにこんなにおいしいのは、周囲に同じように低価格で質の高い料理を出すお店がひしめいているからであり、これらは厳しい質と価格への競争の産物なのだ。
現在、日本の政治家は衆議院や参議院の議員削減が取りざたされているが、意思決定の効率化という観点以上に政治家になる競争を厳しくするためにも、ドラスティックに削減したいところだ。今のようにちょっとタレントになって有名になったり、美人すぎたりするだけで、簡単に議員になれるのが間違っている。
プライベートエクイティの業界に入ってよかったと思うのは、とにもかくにも人間関係を大切にする仕事なのでいろんな人に気遣いをして、つねに信頼を得ることを第一に考える習慣が身に付いたことだ。齢35にして、人間関係が年々豊かになっていると感じるのだが、それは私が年を取るにつれ誠実さや信頼の大切さを第一の判断基準にするようになったためだと思う。
グローバルファームではどの会社でも知識やIQや学歴以前に、信頼が最も重要視される。しょせん賢さなどでは、厳しい学歴・キャリア競争を経てきたエリートたちに大した差はつかない。リーダーシップの差をつけるのは、モチベーションの高さと自制心、人格、そして何よりも強固な信頼関係である。
信頼とはいったい何だろうか。これを知るために、まずあなたが信頼している人を思い起こしてほしい。それは第一に両親かもしれないし、恋人かもしれないし、親友かもしれない。
彼ら・彼女たちはあなたの利益を第一に考えてくれており、あなたに損失が及ぶようなことはしないし、お互い助け合う関係ないし無償の愛を注いでくれる存在である。
信頼という概念の構成要素には、正直さ、誠実さ、規律、有能、愛情などがあるが、一番大切なのは“自分は優先的に尊重してもらっている”という安心感であろう。
したがってこの信頼という概念は、時に道徳性や公共性の要素を凌駕する。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が白熱教室で「あなたの家族が犯罪を犯して匿ってほしいと言っている。あなたはどうするか」「 あなたのルームメートがテストで不正を働いたことを知った。あなたは告発するか」というような問いかけをした際、学生たちは総じて「身内との信頼を護る」と回答していた。
ここで学べるのは、素の本当の人格で正直に自己開示するという真摯さこそが、相手からの信頼を得るための不可欠な要素だ
・何歳になっても、進んで勉強をするようにする。
・勉強したことを日常生活で活かせるようにする。
・ねばり強く仕事をする。
・人の話にしっかりと耳を傾けるようにする。
・理解力があって協調性に富み、人に好かれるようになる。
『相手の想像を常に超えたサービスを提供し続けられる能力を持った人材』
世の中が成熟し、顧客ニーズも高度化しているビジネスシーンでは、会社の上席も、お客様も、そして後輩たちも自分に対して大きな期待を抱くとともに、『普通、これくらいの事はしてくれるはず』との常識を押し付けてくるのも無理からぬ事です。
一方で最低限の雰囲気を読めない『KYな奴』という最低レッテルがあるのとは逆に、『高度なレベルで期待を超える満足』を常に模索し続ける事が優秀への第一歩だと思います。
取扱商品・製品・素材の仕入調達価格や品質には限界があるかもしれませんが、ファーストアプローチ、プレゼン、契約締結、そして、顧客に対して関連情報の定期的提供、アフターフォロー、接待・冠婚葬祭、社内ホウレンソウ・フィードバック、継続的記録、アフター5時・・・などなど、多くの場面で周囲の期待を超えるチャンスはあり、それを実現するためには、全て『相手の立場に立って考え続ける』事が出発点になると思います。また、紋切り型・過去踏襲型の行動パターンを反省しながら、『新しい事を何かできないか?』考えたいものですね。
ただ、あまり難しく考えるよりも、メール・電話全盛の昨今のビジネスシーンにおいて、結構、手書きの挨拶状などがお客様の心得をつかんだりするように、細かい手数を惜しまず、小さい優しさから積み上げるのも、ボディブローのように、いつかは大きな成果を得られるかもしれませんね。
そもそも大きなポイントで差がついているのでは、完全にノックアウト負けで最初から全然お話になりません。
結局は『小さな事でしか、アドバンテージを作れないハズ』ですから、柔らかい発想で、マメな努力で、飽きずに諦めずに努力できる人が、長い社会人生活では優秀な素養だと思います。
輝く、切れ味鋭い発想がポンポン出てくればイイのですが、なかなか連発できないもので、コツコツした意見になってしまい、申し訳ございません(><)
・何歳になっても、進んで勉強をするようにする。
・勉強したことを日常生活で活かせるようにする。
・ねばり強く仕事をする。
・人の話にしっかりと耳を傾けるようにする。
・理解力があって協調性に富み、人に好かれるようになる。
『相手の想像を常に超えたサービスを提供し続けられる能力を持った人材』
世の中が成熟し、顧客ニーズも高度化しているビジネスシーンでは、会社の上席も、お客様も、そして後輩たちも自分に対して大きな期待を抱くとともに、『普通、これくらいの事はしてくれるはず』との常識を押し付けてくるのも無理からぬ事です。
一方で最低限の雰囲気を読めない『KYな奴』という最低レッテルがあるのとは逆に、『高度なレベルで期待を超える満足』を常に模索し続ける事が優秀への第一歩だと思います。
取扱商品・製品・素材の仕入調達価格や品質には限界があるかもしれませんが、ファーストアプローチ、プレゼン、契約締結、そして、顧客に対して関連情報の定期的提供、アフターフォロー、接待・冠婚葬祭、社内ホウレンソウ・フィードバック、継続的記録、アフター5時・・・などなど、多くの場面で周囲の期待を超えるチャンスはあり、それを実現するためには、全て『相手の立場に立って考え続ける』事が出発点になると思います。また、紋切り型・過去踏襲型の行動パターンを反省しながら、『新しい事を何かできないか?』考えたいものですね。
ただ、あまり難しく考えるよりも、メール・電話全盛の昨今のビジネスシーンにおいて、結構、手書きの挨拶状などがお客様の心得をつかんだりするように、細かい手数を惜しまず、小さい優しさから積み上げるのも、ボディブローのように、いつかは大きな成果を得られるかもしれませんね。
そもそも大きなポイントで差がついているのでは、完全にノックアウト負けで最初から全然お話になりません。
結局は『小さな事でしか、アドバンテージを作れないハズ』ですから、柔らかい発想で、マメな努力で、飽きずに諦めずに努力できる人が、長い社会人生活では優秀な素養だと思います。
輝く、切れ味鋭い発想がポンポン出てくればイイのですが、なかなか連発できないもので、コツコツした意見になってしまい、申し訳ございません(><)
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